インターネット苦瓜

ゲームの話をしないブログ

ゾンビパラダイス

この記事は元々、タイトルを「当ブログ筆者の児童買春疑惑について」本文の書き出しを「そのような事実はございません。」として書き始めた記事だったんだけど、そういうことをすると目玉が飛び出るほど怒られるということをギリギリで思い出せたので、投稿前に修正できて良かった。何せブログらしいブログ記事を8年ぶりぐらいに書いているので、色々と勘が鈍っている。

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PC 版の「Dead Rising 3」を買って遊んでいる。ゾンビが大量発生した街中でサバイバルして、何とか脱出しよう! ていうアクションゲームなんだけど、とにかくゾンビの発生量がハンパない。路上でちょいと長柄武器でも振り回していれば、100や200はあっという間にぶち倒す。舞台であるロス・ペルディドスの街がどのくらいの規模なのか知らないけれど、店舗でも路上でもバスケットコートでも、場所を問わずおしくら饅頭してるゾンビの群れを見てると、ちょっと愉快な気持ちになってくる。音楽フェスってこんな感じなのかな? って思う。怖いから遊んでないんだけど、ホラーゲーム「SIREN」シリーズに登場するゾンビっぽいモンスター「屍人」は、屍人たちの世界が天国に見えていて、生存者たちに「きみたちもこっちへおいでよ」と親切心のつもりで襲い掛かってるらしいですね。怖いから絶対遊ばないし確認もしないけど。

理論宗教学者佐々木中がたしか書いてたと思うんだけど、西洋で恐怖の対象としてゾンビがポップなのって、キリスト教の終末論と関係しているらしい。キリスト教における世界の終末が来ると、死んだ者も墓から蘇って審判を受けることになる。「死んだ人は復活する」という前提があるから、土葬にするわけだ。蘇ろうと思ったのに、肉は焼かれて骨もバラバラにされ、壺に押し込められてたら無理だから。同様に「最後の審判が来てないのに、復活しちゃった」というのも、タブーに触れてしまっている。ゾンビになっちゃう=まだその時が到来していないのに、勝手に復活している=神の意志に反している、すなわち最後の審判を受けることもできず、天国に到る唯一の道が閉ざされるということになる。だから自分がゾンビになっちゃうのは怖いというわけ。ロス・ペルディドスの街には、ゾンビ以外にも、ゾンビパンデミックという極限状況の中で発狂したり、これまで虐げられていた環境からの逆転を目論んで周囲に害を及ぼす生存者たちもいて、最初に戦うことになるボスキャラクターもそんな生存者の1人なんだけど、やっとの思いでボスを倒した主人公ニック・ラモスが落ち込みながら「人を殺したのは初めてなんだ……。ゾンビは殺したけど、あいつらはもう死んでるだろ?」とつぶやく。ニックの振る舞いを見守り続けてきたプレイヤーとしては、今まで結構ノリノリでゾンビ殺してきてなかった? そういうもんなの? と一瞬思いもするが、前述のゾンビ観を援用すればその意味は理解できる。神の意志に反して勝手に復活した罰当たりどもを、神に代わってぶちのめして回っているわけだから、そりゃあテンションも上がろうってもの。稼いだ PP は徳の証。活ける屍を鎮魂(ミンチ)するロードローラーはワイを天国へと誘う原動機付き暴走マニ車やで!!

オンライン協力プレイのジャンプイン・ジャンプアウトも気楽なところがいい。ちょっと1時間あるから他人のゲームに参加して暴れちゃおっかなって息抜きもできる。怖いから観てないんだけど、映画「ドーン・オブ・ザ・デッド」では、ゾンビ化した人々をレジャーとしてハンティングして楽しむシーンというのがあるそうですね。怖いから絶対観ないし確認しないけど。ゲームにおいても、あえてゾンビの群れに飛び込み、改造してパワーアップした武器を振り回してると、なかなか気持ちいいもんである。初代 Dead Rising はたしか、「ゾンビパラダイスアクション」と銘打ってリリースされてたはず。確かに週末のレジャーに持って来いなゲームだな。今のは週末と終末がかかったダジャレです。

結論。Dead Rising 3 はあんまり怖くなくてそれなりにおもしろいゲームです。

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